台風が接近しているという日曜の夕方、大阪から電車を乗り継いで、余呉へ。
ホームに降りると、湿気を含んでひんやりとした、そして透明な空気と、こだまする秋の虫の声。
遮るもの少なく間近に見える余呉湖のすぐ上に、雲が立ち込めている。
幻想的でいてリアルな空間。
ああ、もうすでに美味しいじゃないか。
土曜日から始まった旅行の目的は、徳山鮓。
すべてはここに来ることありきで計画した。
この有名な醗酵料理旅館の話を友人知人から聞いていて、いつか訪れたい思っていた。
電車利用の場合、余呉駅到着時間を事前にお知らせし、車で迎えに来てもらう。
改装されたばかりの快適な部屋に荷物を置き、風呂に入ってから食事。
すっぽんのジュレ、皮、身に、特別な山椒の実。
この山椒はビリっと舌に刺激があるが、それがスウっと消えるのだ。
いつまでも舌を痺れさせておくことがない。
だからといって長く浸けたわけでなく、実はフレッシュで引き締まっている。
徳山さんはこちらのご出身で、周囲の山のこと、余呉湖のことを知り尽くしている。
日々山に入って観察して、それぞれの山椒の木の日の当たり方から、どの木のどの枝をいつ収穫すればよいかを熟知している。
だからこその山椒の実の味なのだと言う。
素材の収穫の段階から始まる料理。
こちらでいただける日本酒は七本槍のみ。
純米であっても華やかで軽さもあり、よく料理と合う。
ビールの後、紫霞の湖から。
琵琶湖で取れた琵琶鱒と余呉湖の天然鰻の湯引き。
鰻のぶりんぶりんの歯ごたえと瑞々しさ。
旨味を放ちつつも後に残らない鱒。
こちらの定番でもある鯖の熟鮓にトマトピュレと吉田牧場のカッチョカヴァロチーズ。
意外な組み合わせが当たり前のように馴染む。
特別純米原酒の七本槍に移る。
余呉湖の天然鰻の蒲焼に徳山さんの山椒の実。
鰻は蒸さずに焼いているので、歯ごたえがブチンブチンと。
琵琶鱒、葱の下には熊の脂、一番下には葱と銀杏。
それぞれの素材の強さと組み合わせの巧みさ。
熊の脂というのは、良い出汁になるのだなあ。
地元の鹿肉、天然の舞茸、猪の生ハム、荏胡麻のソース。
天然の舞茸の天ぷら。
なんと贅沢な。
薫り高く、一口ごとに恍惚となる。
台風のために他のお客様がキャンセルされ、貸切りとなっていた。
おかげでゆっくりとお話をうかがえ、珍しいものを見せていただくことができた。
これは熊の胃。
そして熊の毛皮。
毛は思ったよりも柔らかい。
どちらも肉をいただいた後の副産物だ。
子持ち鮎に舞茸のあん。
鮒鮓と鮒鮓を挟んでオリーブオイルをつけて焼いたパン。
きっぱりと酸っぱく、醗酵の香りと旨味はあるが、雑味の全くないクリーンな鮒鮓。
蜂蜜をつけて食べると、酸味が和らぎ、旨味が前に出る。
80%精米の七本槍も。
根曲り竹の梅酢漬け、わさび漬けなどのお漬物。
徳山さんは奥深い醗酵の世界やこの地の食材について事細かに語ってくださり、奥様は余呉の四季折々の景色と、そこに共存する動物たちについて愛情深く語り、そして御嬢さんが和やかな裏話を教えてくださる。
どれもが興味深くて楽しく、素材や料理への感謝が増す。
なんとも有難いひと時。
ふたを開けると、一気に香りが部屋中に広がる。
熊と茸の雑炊。
適度な脂感が熊の良さだ。
フロマージュブランのような鮒鮓の米部分のセミフレッド、上に柿のペーストとワイルドミント。
徳山さんは研究熱心で、まだまだ新しい醗酵の味を仕込んでいるのだそうだ。
完成までに時間がかかる醗酵料理を味わうには、待つしかない。
お酒をさらに追加したので、おつまみを出してくださった。
吉田牧場のラクレットチーズ。
今まで、吉田牧場のチーズとして恭しく出されたものは、気が抜けたようなモッツァレラばかりだったので、このチーズを食べて目を見張った。
なんだ、美味しいじゃないか。しっかりと熟成されたチーズの風味がある。
侮っていた己の愚かさを恥じる。
この鮒鮓は進むのだ。
部屋飲み。
夜中のうちに雨が強く降ったらしい。
朝もまだパラついていた。
あれだけ飲み食いしたのに、空腹と共に目覚める。
この地のものばかり並ぶ充実の朝食。
鮎、炊いた熊肉、鰻の肝の茶碗蒸し、小鮎の佃煮など。
朝食のメインは氷魚の鍋。
鮎の稚魚で、シラスよりも大きく、歯ごたえもある。
朝食が終わるころには、雨は晴れて、雲の合間から日光が射し込んでいた。
昼食だけをいただくこともできるのだそうだが、それではもったいない。
泊まってゆっくりとお話をうかがいながらお酒を飲み、翌日の空腹に驚き、朝食をたっぷりと取るべきだ。
電車の時間に合わせて駅まで送っていただく。
行く前は、一度で気が済むだろうと思っていた。
遠いのと乗り継ぎが必要なのとで。
でも今は、あらゆる季節の徳山料理を食べたいと思う。
ここでしか出会えない、この土地の恵み。
遠出をして食べるべきは、そういうものだなと思った。
次回はちょっと早めに着いて、余呉湖の周りをゆったりと散歩しよう。