独り身なので、来客がないかぎりは自分だけのために料理をすることがほとんどだ。
いわゆる独女料理というヤツ。
このワードで検索すると、手抜き料理が挙がるのだけど、料理が好きで手間を惜しまない独女も多いんじゃなかろうか。
むしろ、独女だから心置きなく料理できる。
もはや「いつか誰かに作ってあげる」なんてことは考えない。
ただただ自分のための料理。
これが楽しくて仕方がない。
空腹で待つ人を配慮して急いだり、他人の好みに合わせる必要などなく、自分だけが美味しいと感じれば良いのだから。
これまで散々外食をしてきたし、母親は料理好きだし、組み合わせや盛り付けについての知識ならある。
もし酷い出来だったとしても、自分だけのことだし、今後の参考ということで、それはそれで面白い。
実験気分で思いつきのメニューを試したり、何度も作り慣れているものを「やっぱり美味しいなあ」と自画自賛しながら続けて食べたり。
不便なのは、レシピのほぼ全てがカップル、または家族単位で書かれていること。
わざわざ4分の1とかに計算しなおしてから軽量しなくてはならない。
いわゆる独女料理というヤツ。
このワードで検索すると、手抜き料理が挙がるのだけど、料理が好きで手間を惜しまない独女も多いんじゃなかろうか。
むしろ、独女だから心置きなく料理できる。
もはや「いつか誰かに作ってあげる」なんてことは考えない。
ただただ自分のための料理。
これが楽しくて仕方がない。
空腹で待つ人を配慮して急いだり、他人の好みに合わせる必要などなく、自分だけが美味しいと感じれば良いのだから。
これまで散々外食をしてきたし、母親は料理好きだし、組み合わせや盛り付けについての知識ならある。
もし酷い出来だったとしても、自分だけのことだし、今後の参考ということで、それはそれで面白い。
実験気分で思いつきのメニューを試したり、何度も作り慣れているものを「やっぱり美味しいなあ」と自画自賛しながら続けて食べたり。
不便なのは、レシピのほぼ全てがカップル、または家族単位で書かれていること。
わざわざ4分の1とかに計算しなおしてから軽量しなくてはならない。
ボンゴレロッソはトマトをピュレ化せず、ゴロっとしていたほうがアサリの風味とトマトとを別々にも一緒にも味わえて好きだ。
白ワインを入れて蓋をし、殻が開いたら蓋を取ってよく煮詰めると、シャバシャバにならない。
ソースは自然にパスタを食べて、皿にほとんど残らないというのが理想的。
独り身の料理にありがちなことに、具が多い。
2人分でちょうどよい量で売られていたアサリを1皿に全投入したからね。
豚肉は甘めの味付けが合うと思う。
前にイチヂクのソースで食べた時、豚をソテーしたフライパンを軽く拭いて、出た脂を少し残してソースを作ったら、重すぎた。
なので、別鍋で塩多めのジャムを作り、ソースにした。
砂糖でなく、出汁の香りのするスリランカのキトゥルハニーを入れたけど、なくなったらメープルシロップかヤシ糖かな。
どうにも持て余していたグリンペッパーを添えたら、アクセントとしてピタリとハマっていた。
生姜を入れても良いかもしれない。
昔、友達が、洒落た料理を提案するとある料理家さんの本を「負け犬レシピ」と呼んでいた。
フルーツやパクチーなどを使っていて、当時の多くの男性が好まなかった料理。
まさに、今自分が一番よく作るようなものたちだ。
今は、男性の料理家の人たちのほうが好んでこういった料理をしている気がするなあ。
10年くらいで随分と変わった。
新秋刀魚が出回っていて、近所の魚屋でピカピカとしていたのを買わずにいられなかった。
家には丸ごと入る大きさのフライパンや鍋がない。
クミンとニンニクを香りだしした油に秋刀魚とレッドペッパーを入れてこんがり焼いたもの。
こうやって食べると、スパイスの香りで相殺されるのか、食後に魚の臭いが気にならないような気がする。
平日の夜はスープで終わらせるようにしている。
週末の食べ過ぎの調整で。
鶏や豚を1時間くらい煮込んだものがベースで、豆や野菜を足す。
週末に作っておいたのを温め直して、胡椒やピマンデスペレットなどをふりかけて食べる。
3~4日くらい続いても飽きないで、食べるたびごとに美味しいなあとしみじみ思う。
和食や中華の家庭料理は母親任せで、手を付けていなかった。
最近になって作り始めたから、今、一番興味のある分野だ。
朝に和食を作ろうと思っていると、楽しみで早く目が覚めるほどに。
鯛の頭を煮付けてみたが、レシピにある濃い口醤油が家になく(普段は薄口使用)、濃さが足りなかった。
次回は甘さももっと強くして、トロっと、てりってりにしたい。
母親に聞いても、詳しい分量は出てこないから、京味の西さんの「日本のおかず」という本を参考にしている。
食材が変わる場合は検索をすれば、それに合わせた下処理を教えてもらえる。
魚の捌き方も動画で見られるし、料理は特別なことではない。
食べることが好きで、自分の好みの味がわかっている人は皆、料理ができるはずだと思っている。