蚤の市を漁るだけでなく、東京の骨董市も徘徊している。
行ける場所で骨董市が開かれていない週末は寂しい。
旅先では、出来る限り食糧品の市場とアンティークマーケットに行きたいし、もっと色々な国のマーケットを巡りたい。
デザインの好みだけで選ぶのも楽しいし、年代や背景を調べて知識から選ぶのも面白い。
何度も見て回っていると、相場や希少性がわかってくる。
知識で選ぶことを下に見るような人もいるが、もったいないことだと思う。
予算上贅沢はできないながら、詳しい友達に倣って骨董店を勉強に訪れたりもする。
ピンを見ておくというのは、何事においても大事だ。
本漆を使った金継ぎをするようになって、直しの具合にも注目している。
器やカトラリーなど、生活雑貨の古いものは、単純な料理を味のあるものに見せてくれる。
出自がバラバラなものを合わせても、不思議と纏まる。
出会いの高揚感や、値段を知って、それが掘り出し物だった時の緊張感は癖になる。
良いなと思っても、自分が持つとなると違うというものも多い。
それらを買ってしまい、結局は使わないことが何度かあって、我慢を学んだ。
とはいえ、誰かがそれを代わりに喜んで使ってくれたらいいのにと思う。
最近、ヨーロッパの蚤の市を回って買ったもので商売をしている人たちが増えていて、そういった人たちはSNSを上手く利用して集客している。
そういうポストを羨ましく眺めたり。
商売となると、結局は売れるものを求めるようになって、フラストレーションが溜まるのかもしれないが。